
米中対立の常態化やロシアのウクライナ侵攻など、地政学リスクの高まりが企業の事業活動に多様で多大な影響をもたらしています。その自社への影響を見極め、リスクを管理し、ビジネスチャンスを捉えることが、企業にとって喫緊の経営課題となっています。
本コラムでは、地政学リスクについて、わかりやすく解説します。
弊社の「地政学リスク」関連サービスにご関心をお持ちの方は、「地政学リスク・経済安全保障対応支援」のページもあわせてご覧ください。
1. 地政学リスクとは?
1-1. 高まる地政学リスク
「地政学(geopolitics)」は、国家の行動や国家間関係を、その国家が置かれた地理的な要因を重視して分析するものです。例えば、四方を海に囲まれた、天然資源の少ない国と、内陸にあって多くの国と国境を接し、豊富な天然資源を有する国とでは、国家の存続のために求める利益も他国との関係も異なります。こうした地理的な要因を基礎として、各国家の政治や経済、安全保障上の課題への取り組みを考察し、国際情勢を分析することが地政学の基本と言えるでしょう。
ただし、昨今のメディア等では、より広い意味で、国際情勢を政治的・経済的・軍事的に分析することを「地政学」と呼ぶ傾向にあります。「地政学リスク」という場合も、テロや武力紛争、戦争、それらに伴って生じるサプライチェーンの混乱、食料やエネルギー・資源の供給不足・価格高騰、移民・難民、為替や株式・債券の乱高下、それらが引き起こす社会不安、また、サイバー攻撃も含まれるなど、広く国際情勢の変化がもたらす政治的、経済的、社会的、軍事的な緊張の高まりを指すことが多くなっています。
最近では、地政学上の問題を経済的側面から分析する「地経学(geoeconomics)」にも関心が集まっています。第二次世界大戦後長きにわたり、「経済的相互依存」の深化は世界に平和をもたらすと信じられてきました。しかし、今や資源・エネルギーの供給源や市場として他国に過度に依存することは、信頼できない国による経済的威圧の武器として用いられかねないとみなされるようになりました。こうした点も地政学リスクと捉えられています。
地政学リスクは近年、急速に高まっています。ロシアのウクライナへの侵攻や、パレスチナ自治区ガザでのイスラエルとイスラム組織ハマスとの戦闘、その発生が懸念されている台湾有事、これらがもたらす政治的・経済的・軍事的緊張の高まりは典型的な地政学リスクと言えます。これらのリスクは、企業の事業活動や私たちの生活に大きな影響をもたらしています。
1-2. 地政学リスクの高まりと経済安全保障
地政学リスクと密接に関係しているのが、やはり近年注目を集めている「経済安全保障」です。地政学リスクが顕在化した際に、国の安全や国民生活に悪影響を及ぼすことを未然に防いだり、その影響を軽減したりするためには、「経済安全保障」の確保・強化が重要となります。地政学リスクが高まっている今、日本をはじめとする世界の多くの国が自国の経済安全保障の確保・強化の取り組みを積極的に進めています。そのため、企業にとっても地政学リスクと経済安全保障への対応は喫緊の経営課題となっており、両者をあわせて検討することが必要となっています。(経済安全保障については、コラム「『経済安全保障』とは①|日本の取り組みと企業に求められる対応」、「『経済安全保障』とは②|主要国(米国・EU・中国)の取り組み」をご参照ください。)
2. 企業が直面する地政学リスク
世界中の地政学リスクを網羅的に捉え、日々これを追っていくのは極めて困難です。リスクが顕在化するきっかけは多様で、今後顕在化するかもしれないリスクを予見するのも至難の業です。実際、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルとハマスの戦闘を事前に予期して備えていた人はほとんどいないでしょう。しかし、これらの地政学リスクによって、企業が直面する問題、対応すべき課題は類型化することができます。
オウルズコンサルティンググループでは、これを「企業が直面する10大地政学・経済安保リスク」としてまとめています。詳細は弊社書籍『ビジネスと地政学・経済安全保障』(日経BP)第5章に譲りますが、ここではそのポイントをご紹介します(図表)。

(1)サプライチェーンの混乱
サプライチェーンの混乱は、企業が直面する地政学・経済安保リスクとして真っ先に思い浮かぶものでしょう。ロシアのウクライナ侵攻では、ウクライナでのワイヤハーネスの生産が停止し、輸出も途絶えたため、欧州での自動車生産が減産や停止に追い込まれました。また、「台湾有事」では、台湾海峡が封鎖され、日本をはじめとする世界の物流に甚大な悪影響が及ぶことが懸念されています。
こうした軍事衝突だけでなく、関税や輸入制限、輸出管理による相手国との貿易投資制限、それに対する報復措置などもサプライチェーンの混乱を引き起こす原因となりえます。第2期トランプ政権(トランプ2.0)下では、米国による日本や世界各国への関税賦課や、米中間の高関税賦課の応酬と中国による重要鉱物の対米輸出規制などが実際に生じています。
(2)研究開発・技術管理の制約
日本企業がイノベーションを促進し、技術力を向上させるために、外国企業・研究機関との共同研究開発は重要です。一方、懸念国(国家安全保障上の懸念がある国や地政学的競争相手など)に重要技術が流出することは、国家の安全保障上の脅威を高めることになりかねません。そのため、企業は自社が有する重要技術の管理に細心の注意を払わなければなりません。
また、共同研究開発によって生み出された技術や製品が使えなくなるリスクや共同研究開発が困難となるリスクにも注意が必要です。米国では、中国製品・技術を用いた製品やサービスの市場投入や政府への納入が難しくなっています。日本でも、重要技術・製品に関して懸念国企業と共同研究を行っている企業には補助金が支給されない場合があります。
(3)M&Aの阻害
クロスボーダーの企業買収(M&A)では、関係する国の当局による独占禁止法上の審査・承認に加え、安全保障上の理由から、当局の承認が得られない事例や、審査長期化により企業側が断念する事例が増えています。
米国では、第1期トランプ政権下で対米外国投資委員会(CFIUS)が、安全保障上の理由から、中国企業による米企業の買収を阻止する例がいくつもありました。日本の建築材料・住宅設備機器メーカーによる子会社の中国企業への譲渡がCFIUSによって不承認となり、同案件が断念された事例もあります。
最近では、安全保障の観点からの投資審査の対象が、対内投資だけでなく、対外投資にも拡大しつつあり、懸念国への投資に一層の注意が必要となっています。
(4)ビジネスチャンスの喪失
国家・経済安全保障の確保のため、世界各国が重要物資の国内生産の強化を進めています。その取り組みの中で、多くの国が自国の企業や製品を優遇する措置を導入しています。米国の連邦政府調達で米国産品を優遇する「バイ・アメリカン」や、連邦政府資金が用いられるインフラプロジェクトで鉄鋼製品や建設資材などの国内調達を義務付ける「バイ・アメリカ」がその代表例です。これらに対応するには、現地調達率の引き上げなど、調達先の変更が必要となります。
また、懸念国企業の技術や製品を国内市場から排除する動きも進んでいます。自社製品に懸念国企業製の部品が使用されている場合には、政府調達への参加や基幹インフラ事業者との取引を失い、ビジネスチャンスを喪失するリスクがあります。
(5)サイバーリスクの高度化
近年急増している企業へのサイバー攻撃も地政学・経済安保リスクのひとつです。ロシアや中国、北朝鮮、イランなどの国家の関与が疑われるサイバー攻撃によって、敵対国の重要インフラの機能を停止させたり、重要技術や個人情報を窃取したりすることが増えています。
最近特に問題視されているのが、サプライチェーン上に存在する脆弱性を突かれるケースです。サイバーセキュリティ対策が手薄な中小受託事業者や取引先がサイバー攻撃を受け、それを踏み台として自社が攻撃を受けたり、部材の供給が停止して自社の生産に支障が出たりする事例が日本でも生じています。
AI技術の発展でサイバー攻撃も高度化しているため、企業が直面しているリスクも高まっており、対策が急務となっています。
(6)DXの停滞
地政学・経済安保リスクは、企業が進めるデジタルトランスフォーメーション(DX)を停滞させるおそれがあります。
世界各国が個人情報を含むデータの保護やデジタル技術の活用、サイバーセキュリティ確保のための規制を強化していますが、そこに地政学的対立や経済安保上の要請が加わったことにより、規制面での分断が引き起こされています。データや技術のグローバルな一元管理による効率的なDX推進に取り組んできた企業は、欧米や中国など主要市場ごとに異なる規制に対応しなければならなくなり、効率性の低下やコスト増大のリスクに直面しています。データの越境移転に支障を来す例も生じています。
さらに、米国の半導体関連の対中規制や、それに対抗する中国の独自技術の開発は、ハードウエアや基本ソフト(OS)、アプリケーション、生成AIなどの各レベルで分断を招いています。これは、DXのエコシステムのデカップリングを引き起こし、企業がDXを進める上での障害となることが懸念されます。
(7)戦争・人権侵害への加担
ある日突然、自社製品に強制労働によって生産された原材料・部品が含まれていたことや、自社製品が人権侵害を助長する機器や武器の部品として使われていたことを指摘され、事業活動に支障を来したり、国際的な非難の声にさらされたりする日本企業が増えています。
米国のウイグル強制労働防止法(UFLPA)に基づき、サプライチェーン上の強制労働への関与を理由に米税関で輸入を差し止められる事例は後を絶ちません。また、日本の工作機械メーカーの製造装置がロシアの軍需工場で使用されていると指摘された例もあります。
ウクライナへ侵攻したロシア、ガザでの人道危機を引き起こしたイスラエルなど、戦争や人権侵害の当事国での事業や、当事国企業への投資などが非難の対象となって不買運動を招いたケースもあります。
(8)従業員の逮捕・拘束
現地駐在の日本人社員が当局に拘束・逮捕されるという事態に直面する日本企業が今後増えることが懸念されています。
中国では、2014年に反スパイ法が施行されて以降、これまでに17名の日本人が拘束・逮捕されています。うち5名は起訴されることなく釈放されましたが、6名は懲役3〜6年の刑に服した後に帰国、懲役12年以上の実刑となって服役中の方が4名、服役中に亡くなった方も1名います。2023年7月に改正反スパイ法が施行されるなど、社員が中国当局に拘束・逮捕されるリスクは一層高まっています。
2024年6月には、ミャンマーに駐在する日本人社員が当局に拘束されました。同社員は、拘束されてから2週間足らずで起訴され、そのひと月後に禁錮1年の有罪判決を受けました。幸いにも、その直後に同社員は解放され、日本に帰国することができましたが、解放理由は明らかにされていません。
(9)リスクマネジメントのキャパオーバー
ロシアのウクライナ侵攻に伴う対ロ経済制裁や、米国による対中規制の強化とそれに対する中国の対抗措置など、日本を含む世界各国で貿易投資、金融取引などへの規制の強化・拡大が続いています。日々新たな規制が導入され、対象となる物資や企業が増え、規制の内容も複雑化しているため、企業のコンプライアンス対応はますます難しくなっています。日本企業からは、人員や適材の不足などもあり、コンプライアンス・リスクマネジメント担当部署がキャパオーバーに陥っているとの悲鳴が聞こえてきています。
こうした事態に全社横断で効率的・戦略的に取り組むために、これを統括する専門部署として、経済安全保障統括室や経済安全保障委員会を設ける日本企業も少なくありません。地政学・経済安保リスクへの対応では、短期的な損失を蒙る場合など、経済合理性に反する方策が必要となる場面も出てくるため、経営トップの判断が不可欠です。そのため、経営トップと現場をつなぎ、その判断を支え、実行を支援する部署が必要だと考える企業が増えています。
(10)「板挟み」のグローバル経営
地政学・経済安保リスクの高まりによって、企業が2つの陣営の「板挟み」となり、事業上の困難な決断を迫られるケースが生じています。
代表例は、米中対立に伴うものです。米国は、先端半導体などの軍事転用が危惧される機微製品・技術に関する対中輸出管理の強化を進めてきました。日本企業は、米国の規制や同様の日本の規制に従い、中国企業との取引を中止しなければならなくなる場合があります。その場合には、中国政府から制裁を受けたり、中国企業から損害賠償を請求されたりする可能性が生じます。しかし、これを避けるため中国企業との取引を続ければ、当然に米国や日本の規制違反が問われることになります。
また、パレスチナ自治区ガザでのイスラエルとイスラム組織ハマスの武力衝突では、スターバックスなど、イスラエル支持とみなされた企業に対する中東やアジアのイスラム圏での不買運動が起きました。他方で、経営者や労働組合がイスラエルを非難した企業に対し、ユダヤ系団体がボイコットを呼びかけた事例もあります。
こうした「板挟み」にどう対応するかは、高度な経営判断が必要となります。
3. 地政学リスクへの企業の対応
このような広範な地政学・経済安保リスクに、企業はどのように対処すべきでしょうか。最初にすべきことは、自社にとっての重要リスクの特定です。
日々生じる地政学・経済安保リスクに関わる出来事のすべてについて、情報を収集し、今後の展開を想定し、自社ビジネスへの影響を分析することは不可能ですし、その必要もありません。「そもそも自社のビジネスにとって、何が起きたら重要な経営課題と認識すべきなのか」を事前に特定しておくことが重要です。オウルズコンサルティンググループでは、これを可視化した「地政学リスクマップ」の作成をクライアント企業にお勧めし、作成を支援しています。「何が起きたら即応すべきか」をあらかじめマップにして可視化し、常日頃から備えておくことで、激動の地政学動向の中にあって、企業(ビジネス)が自ら予見可能性を担保することが可能になります。
(本コラムは、2025年5月時点の情報に基づいています。)
弊社書籍『ビジネスと地政学・経済安全保障』(日経BP)では、「地政学リスクマップ」作成のポイント(第7章)や、企業の各部門がどのように対処すべきか(「地政学・経済安保リスクの部門別対応策」(第6章))を詳しく解説しています。
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『ビジネスと地政学・経済安全保障』
オウルズコンサルティンググループは、所属コンサルタントの多くが戦略コンサルティングファーム出身であり、経営戦略・グローバル事業戦略のプロジェクトを多数リードした経験と、通商・地政学・経済安全保障領域の専門性を併せ持つチーム体制を構築しています。
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