REPORT レポート・調査
2022年5月11日

人権を軽んじる企業には1,000億円以上失うリスクあり(2017年10月執筆記事)

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近年、人権問題がビジネスにおいて極めて大きなインパクトを与えるものであることが認識されはじめています。一方で、ビジネスが具体的なアクションを起こすには、定量的に「数字で」課題の重要性を示していく必要があります。
『人権と数字』の第2回では、米国系アパレル企業及び日系自動車企業を事例に人権侵害のビジネスインパクトがどの程度のものであるかを示します。そして、企業倫理の論点のみならず、事業収益の観点でも無視できないものとなっている人権尊重について企業が取るべき対応について解説します。

※2017年10月付の現代ビジネス「シリーズ『人権と数字』」の記事を一部変更して掲載しています
近年、国連「ビジネスと人権に関する指導原則」をはじめとした国際的な枠組みや「英国現代奴隷法」などの各国の法令策定に見られるように、企業がサプライチェーンにおいて人権に配慮することがますます求められています。
世界的に人権対応の重要性が高まる中、日本企業においてはサプライチェーン上で人権侵害が発生した場合のビジネスインパクトに対する意識が低く、人権尊重への対応を行っていない企業が多いと考えられます。
『人権と数字』の第2回では、米国系アパレル企業及び日系自動車企業を事例に人権侵害のビジネスインパクトがどの程度のものであるかを示します。そして、企業倫理の論点のみならず、事業収益の観点でも無視できないものとなっている人権尊重について企業が取るべき対応について解説します。

I. 「ビジネスと人権」を巡る世界的な潮流

従来、人権保護は「国家の義務」として捉えられてきましたが、近年企業にも人権を尊重する義務があるとの考え方が世界的な潮流となりつつあります。こうした考え方は国際的な枠組みの指針になっているとともに各国の法令にも反映され、日本企業にも影響を及ぼしつつあります。
1. 国際的な枠組み
国際的な枠組みについては、2011年に国連人権理事会で承認された「ビジネスと人権に関する指導原則(以下「指導原則」)」がひとつの転換点となりました。従来の「国際人権章典」「ILO中核労働基準」などの国際的な枠組みは人権保護を「国家の義務」として捉えているのに対し、指導原則は初めて「企業の人権尊重」を明記しているという点で画期的なものです。
同原則は企業に対して
(1)人権尊重を盛り込んだ基本方針の表明、
(2)人権への影響を特定、防止、軽減、説明するための人権デューデリジェンスプロセス、
(3)人権への負の影響を是正するためのプロセスを求めています。
指導原則に沿った企業行動を確保するため、国連は各国に対し「ビジネスと人権に関する国別行動計画」(National Action Plan(以下、「NAP」))を策定することを推奨しており、既に米国や英国、ドイツなど他の先進国はNAPを策定済みです。
日本は2016年12月のジュネーブにおける第5回国連「ビジネスと人権フォーラム」において「来たる数年の間に」NAPを策定予定であることを表明し、今後ステークホルダー間での協議を通してNAPの策定が進められていく予定です。
NAP自体は法的拘束力を持たないものの、他国のNAPでは国内法の制定や改正に言及しているものが多く、基本的に国内法に反映されると考えられます。日本でもNAPを通じて企業に影響を及ぼす国内法が制定される可能性があり、今後NAPの内容がどのようなものになるのか注視が必要となります。
2. 各国における法的枠組み
他方で、既に自国の国内法で企業の人権尊重義務を定める国が出てきています。例えば米国で2012年に制定されたカリフォルニア州サプライチェーン透明法では、同州で事業を行う世界売上高1億ドル(約112億円)以上の小売業者や製造業者に、サプライチェーン上の強制労働、児童労働、人身取引、奴隷労働をなくすために努力し、その取組を開示することが求められています。
また、英国で2015年に制定された英国現代奴隷法では、英国で事業を行う世界売上高3,600万ポンド(約50億円)以上の企業に対して、グローバルなサプライチェーン上における強制労働や人身取引の有無やリスクを確認し、「奴隷と人身取引に関する声明」を会計年度ごとに開示する義務が課されています。
米国・英国に法人をおく日本企業や現地企業と直接取引のある日本企業への影響もさることながら、間接的に取引のある二次サプライヤー、三次サプライヤーの日本企業に対してもこれらの法律の要求事項を満たすことが求められており、各国でのルール化が進むことにより日本企業への影響はますます大きくなっていきます。

II. ビジネスインパクトはこんなに大きい

欧米諸国でのルール化の影響を受ける日本企業が増える一方で、依然として日本企業の中では人権尊重に対する意識が低く、自ら抜本的な人権対応を行うのではなく、取引先からの依頼ベースで実施する表層的な対応に留まる企業が多いのが現状です。
この背景には、他国のグローバル企業のように国際NGOや市民社会の目にさらされてこなかったがために、経営層において人権侵害のビジネスインパクトに対する危機感が薄いことがあげられるでしょう。
しかし、2020年に東京オリンピック・パラリンピックを控え、日本企業のサプライチェーン上での人権尊重への対応に国内外のNGOや市民社会から注目が集まりはじめている中、経営層は人権侵害によるビジネスインパクトがどれだけ大きいものであるのかを認識する必要があります。
1. 3つのビジネスインパクト
まず、人権侵害が企業経営にどういったインパクトを与えるのかを考えてみたいと思います。人権侵害が企業経営に与えるインパクトは三つに分けられます。
第一は売上へのインパクトです。

自社工場や生産委託先のサプライヤーにおいて人権侵害が発覚した結果、不買運動が発生し、売上高が低下する場合や、工場停止・ストライキにより機会損失が発生したことで予測よりも大幅に売上高が下がってしまった場合がこれに相当します。特に不買運動が大々的に発生した場合には、その時期におけるインパクトに留まらず、10年20年経った後でも人々の記憶に残り続け、ブランド毀損のインパクトははかり知れません。

さらに、バングラデシュのラナプラザ・ビル倒壊に見られたようにサプライヤーの労働安全や人権尊重が守られなかったがために、人命を奪ったことによるブランドの毀損に加え、サプライヤーの生産停止により自社の生産レベルの引き下げを余儀なくされた場合もあります。
第二はコストへのインパクトです。

児童労働や強制労働をしていた場合の国に対する罰金コストや、児童労働の是正に向け提供する助成金など人権侵害に対する補償コストが発生する場合がこれに当たります。

第三に投資へのインパクトがあります。

投資の意思決定において、従来型の財務情報だけを重視するのではなく、環境・社会・ガバナンス(企業統治)といった非財務情報も考慮するESG投資がグローバルに拡大する中、人権侵害の発覚が投資判断のマイナス材料になることはもちろんの事、人権尊重への対応がなされていないことも株主からの投資の減退につながります。

2. 人権侵害のビジネスインパクトを試算する
人権侵害のビジネスインパクトが定性的に語られることは多いですが、企業行動の変革のためには、定量的な事業収益に対するネガティブ影響に対する認識を広げることが肝要です。米国系アパレル企業と日系自動車企業を事例に人権侵害によるビジネスインパクトを見てみたいと思います。
(1) 米国系アパレル企業の事例
1997年、米国系アパレル企業の委託先であるインドネシアやベトナムの工場において日常的に児童労働が用いられていることが発覚しました。具体的には、就労年齢に達していない少女達が低賃金で強制的に労働させられていた他、少女達への日常的な性的暴行や尊厳を傷つけるような行為の強要が行われていました。
こうした事実を国際NGOが摘発したことをきっかけとして世界的に不買運動が広がり、「犯罪企業」などの悪評がメディアやインターネットに流出したのです。その結果、児童労働が発覚するまでは競合他社と比べても著しい成長を遂げていたものの、売上高は急激に落ち込みました。
この人権侵害に起因する不買運動の売上高へのインパクトを定量的に測るために、同社の売上高が人権侵害の発覚時と同程度にまで戻るまでの期間の「仮に不買運動が発生していなかった場合の売上高予測値」から、人権侵害によるインパクトを算出しました。
ここでお伝えしておきたいのは、人権侵害によるビジネスインパクトを測る際に、単に人権侵害が発覚した前後、つまり1997年前後の売上高を比べるだけでは十分ではないということです。
というのも、売上減少の理由としてアパレル市場の停滞や事業の売却など、不買運動以外の要因の可能性もあり、アパレル市場全体の傾向や当該企業の事業体制の変化を踏まえた計算が必要になるからです。
「仮に不買運動が発生していなかった場合の売上高予測値」を算出した結果、米国系アパレル企業が人権侵害によって失った売上高(1998年〜2002年の5年間累計)は約12,180百万ドル、日本円で約1兆4,417億円に及ぶことが分かりました(図2)。
これは同企業の連結売上高の約26%に相当し、企業経営にとって致命的な規模です。

(2) 日経自動車企業の事例
日系自動車企業のインド工場で2012年に暴力的行為や差別的発言をきっかけに従業員が暴徒化し、1ヵ月以上もの工場停止にまで至る労使紛争が発生しました。このインドにおける日系自動車企業の労使紛争は日本の報道でも取り上げられ、またインドに進出する他の日本企業にとっても他人事ではないことから、大きな関心を呼びました。
未だに差別意識や階級格差が根付くインドにおいて労使問題の根は深く、ストライキや暴力を伴う争議が多く見られます。企業側がストライキの発生を防ぐため、労働組合の結成を拒否する、組合に加入しないことを労働者に求める、又は反発した労働者を解雇に追い込むなどの形で労働者の人権侵害がしばしば見受けられます。
当該事例は、インド工場に勤務する労働者と班長との間での仕事のやり方についての口論がきっかけとなりました。班長がカースト名で労働者を呼び、労働者に対して暴力的行為や差別的な発言をし、これに対して労働者が暴力を振るいました。
企業側は作業現場で労働者が班長に暴行を働いたことを理由に、事件を調査することなく労働者を停職処分とし、班長への処分はありませんでした。
組合側は労働者の停職処分の取り消しを求めましたが、企業側が拒否しました。このような会社の対応に対して暴徒化した労働者が事務所を放火し、機材設備が損傷したことに加え、逃げ遅れた人事部長が死亡しました。
結果、インド工場は1ヵ月以上もの間生産停止となり、大きな機会損失が生じました。仮に工場が稼働していたと想定してこの機会損失を算出すると、同日系自動車企業のインド子会社が失った売上高は約1,330億円で、2012年インド子会社単体売上高の約16%相当となります 。
不買運動のビジネスインパクトには及ばないものの、一法人が差別的発言や労働者の人権無視により失った売上としては非常にインパクトが大きいことがわかります。

III. 企業にはなにが求められているのか

日本企業にとって、児童労働や強制労働など、サプライチェーン上で発生する人権侵害は一見自社とは関係ない問題とも捉えられがちかもしれません。しかし例えばアパレル製品の原料となる綿花の授粉作業、チョコレートの原料となるカカオの収穫作業など、日本企業のサプライチェーンのどこかで子供が過酷な労働に従事している可能性があります。
上記の事例から見てとることができるように、サプライチェーン上の人権侵害のビジネスインパクトは企業経営にとってけして無視することができないものです。
企業としてはこうしたインパクトの大きさを認識した上で、最低限の取組として人権方針やCSR調達基準などの策定により人権を尊重する責任を果たすというコミットメントを示し、人権への負の影響を防止・是正するためのプロセスを確立する必要があります。
人権への負の影響を防止・是正するための具体的なプロセスとしては、例えば人権方針やCSR調達基準について自社内や取引先で研修などを通じた意識啓発をはかったり、これらの方針・基準が自社や取引先の企業で守られているかどうかを定期的にモニタリングしたりすることが挙げられます。
さらには、人権尊重の対応を単なるコストとして捉えるのではなく、事業競争力の強化や社会貢献を通じた市場拡大のためのCSV(Creating Shared Value)戦略として位置付けることも、ブランド価値の向上や他社との差別化を図る観点から重要な取組です。
例えば紛争鉱物を使用しない携帯電話のような、人権に対応した新商品の開発など、イノベーションを通じて人権課題や貧困をはじめとする世界の社会課題を解決する事業への投資を行い、経済価値と社会価値を同時に追求していくことが、これからのグローバル企業に求められています。
企業の倫理観に対する啓発だけでは、人権問題をはじめとする社会課題は非連続に解決されません。社会課題の解決に資する取組が、個々の企業の経済合理性にもかなうことを証明することが必要なのです。
株式会社オウルズコンサルティンググループ
代表取締役CEO
羽生田 慶介
株式会社オウルズコンサルティンググループ
マネジャー
石井 麻梨
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