REPORT レポート・調査
2021年8月23日

企業の中国離れとアジアの通商秩序の行方(2020年2月執筆記事)

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※世界経済評論2020年5・6月号の記事を一部変更して掲載しています
企業の「中国離れ」が意味するところが変わりつつある。
中国の機能を他国に移す動き自体は、2000年代前半の「チャイナプラスワン」から幾度か経験してきた。但し、その理由はまさに重層化の一途だ。
目下の関心は新型コロナウイルス対策としての中国拠点の稼働判断だろう。影響の長期化に備えて他拠点の最大活用を検討するのが経営企画部門の特命事項になっている。いずれこれが落ち着いたとて、中期経営計画に際しては、いまだ先行きの見通せない米中貿易摩擦が中国拠点の競争力の認識を曇らせる。根底にある知財のリスクや人件費の高騰なども最新の状況把握が必要だ。
まずはいま、冷静に「中国離れ」の実態を把握しよう。すべての中国案件を「危機対応」の名のもとでヒステリックに判断してはいけない。他方で、令和の時代の「中国離れ」には新しい側面がある。「中国」は単なる生産拠点ではなく、単なる大きな市場でもない。グローバルビジネスで活躍する中国企業を輩出する母国だという点だ。この攻勢を経済面・安全保障面で懸念する欧米が仕掛ける投資審査の強化措置は、中国本土でない場所での「中国離れ」を生じさせる。とはいえ、成長著しい中国企業による海外進出は止まらない。
近隣ASEAN市場はもはや日本企業の牙城として安穏とできる状況ではない。今後のアジア通商秩序はこの経済産業実態を踏まえたものとして議論されるべきだ。

I.緩やかに進む令和のチャイナプラスワン

2020年1月初旬、中国政府は武漢市における原因不明の肺炎から新種のコロナウイルスが特定されたと発表した。武漢市は湖北省の中心地で、帝国データバンクによると199社の日本企業が進出している。湖北省全体の進出社数229社のうちの8割超に相当する。武漢市への進出企業の業種では製造業が最も多く、なかでも自動車・自動車部品関連が特に多い。
コロナウイルスの影響は中国全土に広がり、2020年2月7日現在、武漢市以外の地域を含め中国各地の工場で生産を一時停止している。長期化すれば自動車をはじめとするグローバルな部品供給網に影響が出ることは必至だ。今般の混乱を受けて中国からのリスク分散を図る動きが加速化する可能性もある。
新型コロナウイルスの影響が収束する時期は執筆時点では定かでなく、近年の米中貿易摩擦という「有事」にさらに追い打ちをかける社会的「有事」に直面した企業はいま、冷静さを欠きがちだ。まずは現時点での企業の中国拠点の動きを冷静に見てみよう。
長引く米中貿易摩擦を受け、関税の影響を回避するため中国からの生産移管を判断する企業が増えつつあることは事実だ。典型例として挙げられるのはリコーの複合機工場だ。同社は2019年5月16日付けのプレスリリースで「米中貿易摩擦によって今後起こりうるリスクを回避するため、複合機の量産拠点である中国とタイでの製品仕向け地を見直し、米国向け主要複合機の生産をタイに移管する」と述べている。この他、三菱電機が米国に輸出する一部の工作機械の生産を中国から日本に移管した等、生産地や機能の移管に関しては、連日多くの報道が見られる。
かつて「世界の工場」と呼ばれた中国だが、一極集中のリスクの分散のために生産拠点を分散するという「チャイナプラスワン」の動きは2000年代初頭からあった。人件費上昇等のコスト増加に加え、反日感情の高まりや技術流出等が主な要因だ。企業は貿易摩擦以前から生産移管を検討する状況にあり、昨今の移管も貿易摩擦が唯一の理由ではないケースも多いが、摩擦は移転判断の「後押し」になった。
ただし、現状で日本企業による中国から他国への大規模場な生産移管が急速に進んでいるかというと必ずしもそうではない。JETROが実施した「2019年度アジア・オセアニア進出日系企業実態調査」において、中国進出日系企業に対して「通商環境への対応策」のアンケートを行ったところ、「生産地の移管」と回答したのは有効回答293社中27社(9.2%)だった。さらに、移管の規模に関しては、「100%全部移管」と回答したのは1社にとどまり、その他の企業は「1~10%未満」が6社(23.1%)、「10%~30%未満」が11社(42.3%)、「30~100%未満」が8社(30.8%)となった。
つまり、中国から生産機能の全てを移管するケースは稀で、多くの日本企業は米中貿易摩擦下の中国において引き続き生産活動を行っている。
日本企業の年間の対外直接投資額(フロー)を見てみると、図のとおり、米国が「第一弾」として340億ドル相当の中国からの輸入品に関税を発動した2018年の翌年2019年においても、中国向けの投資額は9月末時点で2016年の年間の値を超えている。
特に自動車に代表される輸送機器が最も高く、卸・小売業、電気機械、一般機械が続いている。2019年11月には、トヨタ自動車と中国の電気自動車の代表的企業である比亜迪汽車工業(BYD)が電気自動車の設計・開発等を手掛ける合弁会社の設立に向けた契約を締結したことが発表された。多くの日系企業は中国を引き続き重要な生産拠点であると捉えている。
なお、中国からの移転先として挙げられることが多いのがタイやベトナムだが、日本からタイへの直接投資については、2017年、2018年と増加したものの、2019年の投資額は9月末時点ではやや伸び悩んでいる。ベトナムに関しては投資額が増加しており、2019年9月時点で2016年の年間の投資額と同じ水準に達している。ただし、貿易摩擦の影響を受けて日本企業が中国への新規投資を一斉に減らして他国へ向かっている様子はない。
米中貿易摩擦の渦中にいる米国企業の対応はどうか。2019年6月に米中ビジネス協議会が加盟企業100社を対象に行った調査1によると、「中国からの移転を実施または計画しているか」という質問に対して「はい」と答えた企業は13%。貿易摩擦が勃発する以前の2016年、2017年では8%だったことと比較すると多少は増えているが、急激に増えたわけではない。
なお、2019年において、「はい」と回答した13%のうち、「米国に移転する」が3%、「米国以外の他国へ移転する」が10%だった。また、中国への投資に関しては、「投資規模を縮小または中止するか」という質問に対し、「はい」と答えた企業は17%だった。これは2017年と同じ水準だ。
特に設備規模の大きい工場の移管には非常にコストがかかる上、移管先で優良なサプライヤーを開拓するのも容易ではない。企業は引き続き中国を有力な生産地として見据えながら、リスク分散を図っていると推測される。
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1 質問ごとの有効回答社数は非公表

II.トレンドは「下沈市場」。中国市場の求心力はいまだ健在

中国からの生産移管が徐々に進行し、仮にかつてのような「世界の工場」の地位が少しずつ揺らぎ始めていたとしても、市場としての中国の魅力までもが急速に失われているわけではない。最近ではGDP成長率の減速に注目が集まっているものの、GDPそのものの規模は米国に次ぐ世界第二位を維持している。
中国政府自身が、「量」より「質の向上」の段階に入ったとしており、爆発的な経済成長よりも社会の大局的な安定をより重要視している。米中貿易摩擦の影響等を受けた景気減速による消費の低迷等の傾向はもちろん無視できないが、悲観的な側面ばかりではない。
産業や地域によっても状況は異なる。JETROによると、第二次産業のGDP成長率は2019年に入って四半期毎に6.1%、5.8%、5.6%と伸び悩んだものの、同期間の第三次産業の成長率は7%~7.2%を維持している。上海市だけでみると、第三次産業の成長率は9%前後で推移している。ローソンのニュースリリースによると、同社は2019年に中国における店舗数が2,000店を突破した。
2017年2月に1,000店舗を突破した中国の店舗数は、約2年間で2倍となった。米国の調査会社eMarketerの予測では、2021年には中国の小売市場が米国を抜いて世界一の規模になるとされている。これはEC市場の影響も大きい。中国のインターネットユーザーは2016年6月から2019年6月にかけて7億人から8.5億人に急増した。
地方別では、最近特に注目を集めているのが「下沈市場」だ。中国で「三線都市」と呼ばれる地方の小都市や農村地区の市場のことで、消費者数は約6.7億人と言われている。この「下沈市場」では特にEC市場が活況で、三級都市や四級都市ではネットユーザー数も急速に拡大している。アリババグループが運営するECサイト、タオバオでは1年間で1億人もの新規ユーザーを獲得しており、その77%が「下沈市場」であったという2 。
自動車については、中国における2019年の新車販売台数は約2,577万台で前年より約230万台減少した。これも悲観的に報じられることが多いが、依然として世界最大の販売台数を誇っており、市場としての魅力があることには違いない。この中でも日系のトヨタ、マツダの販売台数はそれぞれ前年比で9.0%、8.5%と増加した3。
JETROが、貿易摩擦下で行ったアンケート調査結果に基づき、中国に進出する日系企業の大部分が中国で生産・販売する「地産地消型」であることから大規模な生産移管は起きていないと指摘していることも、日系企業が中国を市場として重要視していることを裏付けている。
ただし、今般のコロナウイルスによる生産停止や人々の移動の制限が、以前から減速が懸念されていた中国経済にとって更なるマイナス要因となることは確実だ。
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2 出所:SankeiBiz
3 出所:MARKLINES

III.欧米の「中国離れ」は中国本土の話ではない

では企業の「中国離れ」は単なるメディアの喧騒なのか。そうではない。令和の「中国離れ」は、日本や欧米企業が工場を他国に移転することだけを意味するのではないのだ。中国はいま、単なる生産拠点でも、単なる大市場でもない。「中国から離れる」意味は、中国本土からの離脱に加え、中国企業の脅威を回避することに主眼があることが増えていることを認識しなければならない。
昨今、中国企業による欧米向けの対外直接投資額が減少している。中国から米国への直接投資額(フロー)は、THE US-CHINA INVESTMENT HUBのデータによると、ピークの2016年は約465億ドルだったが、2017年には297億ドルとなり、2018年には53億ドルまで急減した。欧州向けの投資も、ドイツのシンクタンクMERICSによると、2018年は前年から40%も減少して173億ユーロとなった。
欧州では中国企業のM&A額も減少しており、JETROのまとめによると、2016年は309件で総額約858億ドルだったものが、2017年に247件・約576億ドル、2018年には196件・約312億ドルまで減少した。
欧米諸国が中国を始めとする外国企業へのハイテク分野での技術流出等を懸念し、相次いで投資審査を強化していることが背景にある。米国では外国投資リスク審査現代化法(FIRRMA)が2018年8月に成立した。周知のとおり、外国企業の対米投資を安全保障上の観点から審査する外国投資委員会(CFIUS)の権限を強化し、審査の対象を拡大したものだ。
中国のハイテク企業が米国企業を買収する場合等は当然に審査の対象となる。欧州では、現状ではドイツ、フランスやスペイン等の一部の国で、国毎に投資審査が行われている。ドイツで投資審査法が強化されたきっかけは、中国の家電大手である美的集団による独ロボット大手のクーカの2016年の買収とされる。
ドイツで「インダストリー4.0」を主導してきたクーカの買収が、中国への技術流出や重要インフラ分野における安全保障懸念につながると見られたのだ。かかる懸念は拡大し、2020年秋頃にはEUレベルで統一した投資審査の制度を導入する見込みだ。導入されれば、EU全土で中国企業による投資がさらに減少する可能性が高い。
米国では2018年、FIRRMAと同時に輸出管理改革法(ECRA)も成立した。既存の規制では対応しきれない「新興・基盤技術」のうち米国の安全保障にとって重要な技術を新たに輸出規制の対象としている。このECRAの下にある貿易管理規則(EAR)に基づき、米国が貿易を行うには好ましくない相手として「エンティティ・リスト」に華為技術(ファーウェイ)を始めとする複数の中国企業を登録し、米国企業との取引を制限している。つまり、中国企業は欧米諸国への投資、輸出入の両面からルールに基づく締め出しを受けていることとなる。
他方の中国も、2017年6月に輸出管理法の草案を公開した。これまで中国の輸出規制は大量破壊兵器のみを対象としてきたが、輸出管理法は通常兵器も対象としている。中国は、通常兵器の輸出管理にかかる国際的な申合わせであるワッセナーアレンジメント(WA)に参加しておらず、同法が成立すれば独自の規制を導入することとなる。輸出管理法では、軍事物資、技術や役務等の輸出が規制され、中国からの輸入品が一定程度含まれる物資を中国外から「再輸出」する場合や、中国国内で外国人に貨物や技術を提供する場合(「みなし輸出」)も対象になる。非常に多くの民生品が対象になると想定される。
日本化学品輸出入協会(JCEIA)によると、「再輸出規制」とは、中国の規制品目を一定割合以上含んだ中国以外の国の「原産品」をその国から再輸出する際に中国政府の許可が必要になるという制度。再輸出規制が導入されると、日本に所在し日本国内での取引のみを行う企業であっても、サプライチェーンの中で中国原産の規制貨物を取扱う場合には、第三国への再輸出のための複雑な計算や再輸出規制の対象か否かの判断等の負担が発生する。
「みなし輸出」は、中国内の外資企業や中国企業の社内の外国人へ貨物・技術を提供する際に中国政府の許可が必要になる制度だ。技術のみならず貨物も対象とするこの規制は極めて異例だ。現在(2020年2月7日時点)では、パブリックコメントを受け、規定案の改訂を行っている。
これらの規定が導入された場合の企業影響は非常に大きく、サプライチェーンの変更を強いられる可能性がある。中国自身も理解の上だと思われるが、米国のECRA等に対抗して導入しようとしているとの見解もあり、米中いずれかが手綱を緩めない限り、互いに引き締め合いが続くかも知れない。
この状況下、中国は企業の投資誘因の施策を講じており、引き続き「中国離れ」を大きな動きにさせない意思が見られる。従来の「外資三法」と呼ばれる法令を廃止し、2020年1月に外商投資法を施行した。これが外資企業による中国への投資にかかる新たな基本法となる。同法は外資企業による中国企業への投資の促進等を目的とし、一部の制限分野(ネガティブリスト)を除く投資参入時の内国民待遇、知的財産権の保護や技術移転強要の禁止等を規定している。米国との関係改善が即時には期待できないなか、中国政府は日本企業の誘致に以前よりも熱心になっていると言われている。
外商投資法は貿易摩擦が長期化するなかで施行を急いだ面もあり、細則が定められていないことから実施を疑問視する声も聞かれるが、無事に機能すれば日本企業にとっては追い風となるだろう。

IV.中国企業こそ「中国離れ」。アジアは日本企業の牙城ではなくなる

ここまで日本企業や欧米企業に焦点を当ててきたが、中国企業の動きにも触れたい。中国企業は2000年代初頭から精力的に海外進出を進めてきた。2001年に策定された「第10次五ヵ年計画」において「走出去」と呼ばれる海外進出戦略が打ち出され、中国政府としても企業の海外展開を後押しする姿勢になったことが契機だ。同年にはWTO(世界貿易機関)にも加盟した。昨今では米中貿易摩擦や欧米の投資審査強化による中国企業の締め出しの動きを受け、これらの影響を受けない地域への進出を加速化させている。特にタイ、ベトナムやインドネシアといったASEAN諸国が顕著だ。
冒頭で、日本企業や欧米企業の中国本土における「中国離れ」は緩やかに進んでいると述べた。これは、日米欧の企業が中国の生産拠点を米国への輸出拠点としてではなく、中国国内市場向けあるいは近隣のアジア諸国向けの拠点として捉える傾向が強いことに因る。
これに対して、中国企業は中国国内の拠点を「グローバル拠点」として位置付けていることが多いため、日米欧の企業よりも米中貿易摩擦の影響を受け易く、影響回避のためにASEAN諸国への生産移管を進めている。つまり、中国本土における「中国離れ」は、むしろ中国企業自身に起きている。
2010年代半ば頃から、アリババ集団、テンセント、JD.Comに体表される中国のインターネット企業がASEAN各国に精力的に進出する動きが目立っていた。例えばアリババ集団が2016年に、ASEANで最大級のネットショッピングサイトを運営するラザダに巨額の出資をして経営権を取得したのは有名な話だ。このほか、中国企業の進出事例は枚挙にいとまがない。
米中貿易摩擦の影響を受け、最近ではこれらインターネット企業に加えて製造業の進出が増えているのが特徴だ。
Bangkok Postによると、2019年の中国企業のタイへの投資申請は9月時点で450億バーツに達し、ゴム産業とタイヤ製造業では前年同期から100%増加した。2019年終了時点では、中国企業による投資の新規申請額は全体の34%を占め、初の首位になった。個別企業の動きとしても、中国の超硬合金メーカー大手厦門金鷺特種合金(GESAC)が、2019年に初の海外工場の設立先としてタイを選んだ、と報じられている。タイ東部に設立する工場で切削工具向けの超硬合金を生産し、大部分を米国に輸出するという。
ベトナムにおいても中国からの投資が増えている。ベトナムは歴史的な関係からも中国と一定の距離を置いてきたが、近年、経済面で中国の存在感が増している。JETROによると、中国の対ベトナム直接投資が2019年になって急増した。
年間の中国企業による直接投資の認可件数は、2018年に2012年比で5倍以上に膨らみ過去最高を記録したが、2019年1~9月の速報値は既に前年を上回っている。業種ではトラックやバス用のタイヤ製造、ゴム製品の製造が多く、このほか、電子部品、ステンレス加工等の大型の製造案件の投資があった。
インドネシアでも、2019年に中国からの直接投資が過去最高を記録した。JETROによると、2019年1~9月の投資実績について、前年同期比で81.3%増の33億1,300万ドルとなった。業種別では、運輸・倉庫・通信が13億4,600万ドルで最も多く、基礎金属・金属製品、電気・ガス・水道と続いた。
こうした中国企業の進出を見据えASEAN各国の誘致合戦も過熱化している。タイでは、ソムキット副首相が、米中貿易摩擦の影響で中国企業の進出が進んでいることを踏まえ、タイへの企業誘致を強化するようタイ投資委員会(BOI)に指示を出した。これを受け、「タイランド・プラス」というパッケージの誘致策を打ち出した。
法人税の優遇や先端技術分野における人材開発を支援するインセンティブ等を付与する内容だ。マレーシアやインドネシアも、それぞれ投資優遇策を打ち出している。マレーシアでは、地域またはグローバル統括会社を新たに設立した企業に対する税制優遇等を行う見込み。
インドネシアは、労働集約型産業、トレーニングプログラム、R&Dに対する優遇策を発表した。これらは、繊維、消費財、サービス分野で新たにインドネシアに拠点を開設する企業にとって有利とされている。
中国企業のアジア進出が進むと同時に、アジア各国も中国企業の呼び込みを行っている。日本企業はアジアでの優位性が今後も当然に継続すると考えるべきではない。

V.アジアの通商秩序をどう論じるか

中国に「行くべきか、行かざるべきか」という問いは過去のもの。企業が短期視点で「残るべきか、退くべきか」に思考が囚われているうちに、中国は「来る」のだ。一帯一路構想として、個別企業のグローバル展開として、中国との距離は否応なく近くならざるを得ない。
中国本土のみならず、自由にグローバル展開する中国企業をも含む総体としての「対中国」競争力強化にアジア通商政策の目的が据えられている場合、もはや旧来のFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)では機能することが期待できない。
FTAやEPAは詰まるところ他国への市場アクセス・接続性を上げることで締約国以外より良い貿易投資条件を得ようとするもの。他国からの攻勢を凌ぐ経済産業そして安全保障上の防御には不向きなツールだ。
大国インドが離脱した形でRCEP(東アジア地域包括的経済連携)交渉が妥結すればこの地域のルール形成やその運用で中国の影響が相対的に強化されるが、それ自体は本質的な懸念に及ばない。そもそもRCEPは日本も中国も含む東アジア各国がともに経済発展することを目指すものであり、締約国間の攻守を目的としたものではない(自由化内容によって一定の満足・不満はあれど)。
むしろいま「対中国」の脅威を念頭に置く各国が効果を期待しているのが、投資審査強化やトランプ政権の高関税措置のような国内法での対応となっている。国内法を「足並み揃える」形で進化させることが、手詰まり感のある通商政策の代替となっているとも言えるだろう。日本でも2019年11月の臨時国会で改正外為法が成立した。一年前に米国FIRRMAで対応された機微技術の保護の施策において、日本が抜け穴にならないようにするための法改正とされる。
ビジョンとしての「自由で開かれたインド太平洋構想(Free and Open Indo-Pacific)」は今後新しい対話の枠組みを形成し、その定着の過程で官民が新たな通商秩序を模索していくことだろう。「インド太平洋」という「範囲」を規定することで議論が噛みあう状態を整備したことは大きな成果だが、この地域における秩序のあるべき姿を描くのはまさにこれからだ。
秩序(オーダー)の議論は、社会・経済の「モノサシ」の議論だ。国連SDGs(持続的な開発目標)の達成度ランキング4は、上位を欧州各国が占拠している。この中で日本は、非欧州で最高の15位。日本以外で20位以内に入った非欧州の国は18位の韓国と20位のカナダだけだ。国家レベルだけでなく、ビジネスもこのモノサシで評価されるとしたら―――それは日本にとって現在より望ましい秩序となるだろうか。
国連開発計画(UNDP)は投資ファンドや企業のSDGs貢献を認証する「SDGインパクト」を2020年中に発表予定だ。
過去の協定をビルディング・ブロック(積み石)として語るだけでは、今日の激動のアジアが目指すべき通商秩序は論じきれない。大きな経済成長を期待することができない日本に与しやすく、成長が約束されている新興アジア各国にも受け入れられる新しいモノサシの議論を重ねたい。
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4 国連持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)

【参考文献】

THE US-CHINA INVESTMENT HUB
Mercator Institute for China Studies(MERICS)(2019)「Chinese FDI in Europe: 2018 trends and impact of new screening policies」(MERICS)
JETRO(2020)「中国からの直接投資とドイツのジレンマ 米中貿易摩擦の情勢下に見る中国企業の対外直接投資動向調査」(JETRO 地域・分析レポート)
一般社団法人 日本化学品輸出入協会(2018)「中国輸出管理法案の現状と問題点」
リコーニュースリリース(2019)「リコー、中国での米国向け主要複合機生産をタイ工場に移管」(株式会社リコー)
JETRO(2019)在中国日系企業で「生産地の移管」や「調達先の変更」を実施するのは1割未満」(JETRO)
JETRO(2020)「特集:米中摩擦でグローバルサプライチェーンはどうなる?米中貿易摩擦の日本企業への影響(その1)対中制裁関税などへの対応に苦慮」(JETRO)
JETRO(2019)「特集:米中摩擦でグローバルサプライチェーンはどうなる?中国の識者、生産移管は正常な範囲内と認識」(JETRO)
JETRO上海事務所長 小栗道明(2019)「華東地域の最新ビジネス動向」(JETRO)
株式会社ローソンニュースリリース(2019)「中国における店舗数が2,000店舗突破」(株式会社ローソン)
eMarketer(2019)「China No Longer Expected to Overtake US in Retail Sales in 2019 Amid Trade War」
MARKLINES(2020)「自動車販売台数速報 中国 2019年」
SankeiBiz(2019)「中国、進む「下沈市場」開拓 地方3線都市、消費活発で存在感増す」(SankeiBiz)
帝国データバンク(2020)「日本企業における中国・武漢市への進出状況」(帝国データバンク)
JETRO(2020)「中国企業の投資が急増、ベトナム国内では警戒の声も」(JETRO)
JETRO(2019)「中国の2019年の対インドネシア投資、過去最高額へ」(JETRO)
日本経済新聞(2019)「中国合金大手、タイに工場新設 米中摩擦で生産分散」(日本経済新聞)
株式会社オウルズコンサルティンググループ
代表取締役CEO
羽生田 慶介
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プリンシパル/チーフ通商アナリスト
福山 章子
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