REPORT レポート・調査
2021年4月14日

新たなルール形成が進む「人権」(2019年2月執筆記事)

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※月刊アイソス2019年2月号に寄稿した内容を一部変更して掲載しています
日本企業において長い間「社会にとって良い取り組み」とは主として環境への取り組みであった。企業が自社のCSR報告書において開示しているとされる項目の中でも「環境」はトップに位置している 。しかしながら、近年企業が環境以外に注目すべき新たなテーマが出てきている。それは「人権」だ。

I.なぜ今「人権」か ―ルールがもたらす市場形成

ルールがビジネスにおいて果たす一つの役割は、本来企業にとって経済合理性がないところに経済合理性をもたらすことである。通常、企業が環境や人権に配慮した生産活動を行えばコストアップにつながるが、仮にルールによって環境や人権に配慮した製品・サービスが優遇される(逆にそうではない製品・サービスが排除される)世界が創出されれば、企業にとっての経済合理性が生まれる。
企業の経済合理性に影響を与えるルールが早い段階から策定されてきた分野が「環境」である。そもそも日本で「環境経営」という言葉が用いられるようになったのは1997年の京都議定書の前後からだ。京都議定書を機に企業は事業活動の中に環境の視点を組み込み、環境報告書で自社の取り組みを公表するようになった。さらにポスト京都議定書と言われる2015年のパリ協定の交渉過程においては、“We mean business”(「我々はビジネスだ」/「我々は真剣である」の両方の意味を掛け合わせた企業・機関投資家グループ)に象徴されるように、むしろ企業自らが革新的な取り組みを行うことにコミットする形でルールの形成に大きな影響を与え、それが「環境ビジネス」という市場の確立に寄与したと考えられる。
一方、近年ルールの策定が急速に進んでいる分野が「人権」だ。2011年に「企業の人権尊重」を初めて明記した「ビジネスと人権に関する指導原則」が策定され、以下で見るように国や企業が主導する形で様々なルールが形成されている。今後環境の後を追う形で「人権ビジネス」の市場が拡大していくことが予想される中、企業が「人権」というテーマを無視して活動することは困難になるだろう。

II.「人権」に関する近年のルール形成の動向

(1)「人権」に関するRegulation
「Regulation」的な性格を持つルールの例としては、上記の「ビジネスと人権に関する指導原則」を受けて各国で制定されている法律がある。例えば英国で2015年に制定された「現代奴隷法(Modern Slavery Act)」は、英国で事業を行っている世界売上高3,600万ポンド(約50億円)以上の企業に対して、サプライチェーンにおける強制労働や人身取引の有無やリスクを確認し「奴隷と人身取引に関する声明」を会計年度ごとに開示することを義務付けている。
開示しないことに対する罰則は課されないものの、開示を怠っていればNGOや消費者から「人権への取り組みについて透明性を欠く企業」として批判を浴び、売上等にも影響が出る恐れがある。類似の動きとして、アメリカでは2010年に「カリフォルニア州サプライチェーン透明法(California Transparency in Supply Chain Act)」が、フランスにおいても2017年に「フランス人権デューディリジェンス法(La Loi Relative au Devoir de Vigilance des Sociétés Mère et Entreprises Donneuses d’Ordre」が制定されている。
上記は公的な機関が策定する「Regulation」の例であるが、民間企業が策定する調達ガイドラインも、ダイレクトに企業の経済合理性に影響を与え得る。例えばApple社は、差別やハラスメントの禁止、児童労働の防止、強制労働と人身売買の禁止等の項目を含む「サプライヤー行動規範」を制定した上で、取引先となる企業に対し、契約の前提として同規範を遵守することを求めている。行動規範に反する行動が見られた場合には、取引関係が終了する場合もあり得ることもウェブサイト上に明記されている。同社のようなグローバル大企業が制定する調達ガイドラインも、企業の人権への取り組み推進に大きな影響を与えると考えられる。
(2)「人権」に関するStandard
他方で、企業にとって人権への取り組みにおける物差しとなる「Standard」的な性格を持つルールも発展している。例えばISOにおいては、古くは2001年に策定された「ISO/IECガイド71」(高齢者や障害者に配慮した製品・サービスの規格)が人権に関する規格と考えられる。また、2010年に策定された「ISO26000(社会的責任に関する手引)」は人権を含めた組織の社会的責任に関するガイドラインを示している。
人権については、すべての人に与えられた基本的権利であること、人権を守るために個人・組織両方の認識と行動が重要であること、直接的な人権侵害のみならず間接的な影響にも配慮・改善が必要であること等が定められている。また、2017年に策定された「ISO20400(持続可能な調達に関する手引)」は、人権等の社会的責任の観点も含め、将来にわたって持続可能な調達活動に関するガイドラインを示している。
NGO等が主体となって策定する「Standard」も存在している。例えばSA8000は、Social Accountability International(米国NGO)が策定している、人権・労働環境に関する国際規格である。同規格では、児童労働、強制労働、健康と安全、結社の自由と団体交渉権、差別、懲罰、労働時間、報酬、マネジメントシステムについて企業が満たすべき要件を定めている。
Fairtrade International(ドイツを本部とする国際NGO)が策定している国際フェアトレード基準は、企業が生産や取引において満たすべき経済、社会、環境の三つの原則を定めており、社会的基準の中に児童労働・強制労働の禁止や差別の禁止等、人権に関する要件が含まれている。これらの基準も企業の人権への取り組みにおける物差しの一つとなり得る。

III.今後の「人権」に関するルール形成

様々なルールが形成されてきている中で、今後「人権」分野においてどのようなルールが形成され得るかを、環境におけるルールの動向を踏まえつつ考えてみたい。
環境において近年注目される「Standard」として、一定のエリアに求められる条件を定めた「エリア規格」がある。従来、製品・サービスに関する規格(ISO Guide64やISO TR 14062)や組織に関する規格(ISO14000)が策定されてきたが、それが都市や地域という一定のエリアに拡張された形だ。
例えば、米国グリーンビルディング協会が策定している「LEED」という基準はもともと建物と敷地利用に関する環境性能を評価するための規格であったが、2016年には「LEED for Cities / Communities」が新たに設置され、エリア全体での環境性能を評価することとしている。また、International WELL Building Instituteが策定する「WELL」という認証は、建物の性能だけでなくそれを利用する人間の健康や快適性にも焦点を当てたものだが、これについても街区レベルでの認証(パイロット版)が出されている。
人権においてもこれまで製品・サービスに関する規格や組織に関する規格が策定されてきたが、今後は都市あるいは地域全体での人権での取り組みを評価する、人権分野での「エリア規格」が誕生する可能性もある。例えば現在、ガーナにおいて政府が「児童労働のないエリア(Child Labor Free Zone)」を確立し普及させることを目指しているが、まだ何をもって「児童労働のないエリア」とするかについての明確な基準は存在しない。例えば「児童労働のないエリア」が満たすべき仕組みや評価体制等の「Standard」を策定することが考えられるだろう。
さらに、人権に関する取り組みを大きく進展させるためには「Standard」的な性格を持つルールと「Regulation」的な性格を持つルールをうまく組み合わせていく必要がある。「Standard」はそれ自体では実質的なビジネスインパクトを持ちにくく、企業の経済合理性に影響を与えるためには「Regulation」に組み込まれることが必要だ。
上記の「児童労働のないエリア」規格についても、例えば企業が当該エリアで活動する際に、減税や補助金等ビジネス上のメリットが付与されるような仕組みが確立されれば、企業の経済合理性に影響を与え、企業行動を大きく転換させる一歩となるだろう。
ルールの形成に伴い企業ごとの人権への取組に対する差が明確になることを見据え、企業は今後人権への取組を一層強化する必要がある。
株式会社オウルズコンサルティンググループ
マネジャー
石井 麻梨
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