REPORT レポート・調査
2023年4月24日

国際的なデジタル貿易分野におけるルール形成(2023年2月 JMCジャーナル掲載)

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グローバルレベルで社会経済システムの「デジタル化」が急速に進み、企業における事業の収益構造・ビジネスモデルが大きく様変わりしている。各国においても、個人情報の保護やデータの移転に関してのルールが制定され「データ保護主義」と呼ばれる動きも目立っている。また、日本でも経済安全保障推進法が成立するなど、企業における経済安全保障への対応の必要性も増している。そうしたなか、通商分野においてデジタル貿易にかかるルール形成が進められている。 

 

※JMCジャーナル2023年2月号の記事を一部変更して掲載しています。

1. FTA/EPAの電子商取引章でデジタル貿易ルール形成が進展

 

これまで、自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)は貿易や投資の自由化・円滑化を目的とし、物品にかかる関税の撤廃・削減やサービス貿易の自由化が大きなイシューだった。デジタル化が進み、国境を超えるデータの流通量が急増した近年では、FTA/EPAにおいて「デジタル貿易」にかかるルールが導入されはじめている。 

 

FTA/EPAにおけるデジタル貿易関連ルールは、当初はサービス章、投資章や貿易円滑化章に含まれていた。内容としては、貿易の電子化、電子的送信への関税の不賦課、貿易障壁の低減、透明性の確保、協力、民間の関与の拡大、ECの促進、政策の調和などが定められた。2003年には、初めて「電子商取引章」を導入したシンガポール・オーストラリアFTAが発効した。それ以降、FTA/EPAのデジタル貿易関連ルールは電子商取引章に規定されることが一般的になった。電子商取引章では、それまでに規定されてきたルールに加えてEC関連の国内法の維持、電子署名の活用、消費者の保護、個人情報の保護などが定められた。 

 

FTA/EPAにおける電子商取引章のルール形成の転機のひとつは環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)だ。

 

TPP3原則」と呼ばれるルールが注目を集めた。「TPP3原則」とは、(1)データの自由な越境移転、(2)サーバー等の自国内設置要求の禁止、(3)ソースコードの開示・移転要求の禁止の3つのルールを指す。なお、CPTPP2015年に10月に大筋合意に至っているが(*1)、ニューサウスウェールズ大学のグリーンリーフ教授によると、2010年代にデータ保護に関する各国のルールが急速に増えたと報告されており(*2)、「TPP3原則」はこういった動きを意識したものと捉えられる。また、個人情報の保護を定めたEUの一般データ保護規則(GDPR)は20165月に発効、非個人情報を含めたデータの越境移転を制限する中国のサイバーセキュリティ法は20176月に施行されている。

 

いずれも発表当初から大きく注目され、対応に苦労した企業が多い。各国のデジタル関連ルールの制定とデジタル貿易のルール形成は同時に進んでいる。

 

 

 

 最近のFTA/EPAの電子商取引章では、「TPP3原則」のほか、サイバーセキュリティ、要求されていない商業上のメッセージに対する措置の導入、インターネットへの接続およびインターネット利用に関する原則、プロバイダーの責任、政府データの公開などについても定められている(*3)

 

2. WTOの電子商取引交渉は調整困難な論点を残す

 

デジタル貿易ルールについては、FTA/EPAに加えて世界貿易機関WTOでも議論されている。

 

201711月にアルゼンチンで開催されたWTO11回閣僚会議において「電子商取引に関する共同声明」が発出された。日本、EU、米国を含む71の有志の国・地域が参加し、電子商取引におけるWTOの役割として、開放的、透明、非差別的かつ予測可能な規制環境の促進を謳っている。加えて、電子商取引の貿易的な側面に関する交渉に向けた作業を開始することに合意した。先に述べたとおり、世界各国でデータ関連のルールが制定され、FTA/EPAにおいてデジタル貿易ルールが導入されはじめた時期だ。有志国による枠組みではあったものの、閣僚声明の採択が見送られた同会議のひとつの成果として注目された。 有志国で議論を重ね、20191月にダボスで開催された非公式閣僚会合では電子商取引ルールの交渉開始の意思を確認する共同声明を76の加盟国で発出した。中国やUAEなどが新たに参加している。交渉では日本、豪州、シンガポールが共同議長国となり、可能な限り多くのメンバーとともに高いレベルのルール作りを目指すとした。

 

また、同じタイミングで開催された世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席した安倍首相(当時)が「信頼ある自由なデータ流通(DFFTData Free Flow with Trust)」の構築を提唱した。プライバシーやセキュリティ・知的財産権に関する信頼を確保しながら、ビジネスや社会課題の解決に有益なデータの自由な越境移転を目指す構想だ。 

 

ただし、立場の異なる多国間で進めるWTOの電子商取引交渉には課題もある。

 

例えば、米国は安全保障上の情報以外は基本的にデータの自由な流通を促進すべきであると主張し、日本も同様のスタンスであるが、個人情報の厳格な保護を狙うEUは、官民ともにデータ活用に積極的な米国とは温度差があるものと考えられる。また、中国をはじめとする新興国は、データは国家が管理するとの考え方をとる国が多く、外国企業が国内のデータを自由に活用することに規制を課すことを狙っている(*4)

WTO電子商取引交渉における各国の主な提案は図表2を参照。 

 

 

 

WTO電子商取引交渉に参加する有志国は、202112月に共同議長国による閣僚声明を発表した。この時点で参加国は86の国・地域に拡大している。

経済産業省によると、202112月時点で8項目のテキスト案に合意している。

 

合意した項目は、オンラインの消費者保護、②電子署名及び電子認証、要求されていない商業上の電子メッセージ、政府の公開されたデータ、電子契約、透明性、ペーパーレス貿易、開かれたインターネット・アクセスだ。他方、議論中の項目は、越境データ流通、データローカライゼーション、ソースコードの開示要求の禁止などとされている(*5)20226月に開催されたWTO12回閣僚会合においても共同議長国による閣僚声明を発表、可能な限り早期の合意に向けて取り組むことを示した。同時にキャパシティビルディング枠組みの立ち上げも提案されている。

そのなかで、日本は国際協力機構(JICA)によるサイバーセキュリティに関する能力向上支援及び日本貿易振興機構(JETROによる中小零細企業のDX化及びビジネスマッチング支援を提案している(*6) 

 

3. 独立したデジタル貿易協定の締結が加速

 

最近では、FTA/EPAの一部としてではなく独立したデジタル貿易協定も締結されている。その代表のひとつがデジタル経済パートナーシップ協定(DEPA)だ。CPTPPの前身でもあった太平洋横断戦略的経済連携協定(P4)の4か国のうちシンガポール、チリ、ニュージーランドが参加し、202111月に発効した。 

DEPAは、「生きた協定」として状況に応じて内容を更新する枠組みだ。DEPAは大きく、(1)デジタル貿易の促進、(1)信頼のあるデータ流通の促進、(3)信頼のあるデジタルシステムの構築の3つで構成されている。

 

(1)デジタル貿易の促進では、デジタル識別技術の開発、Fintech分野の協力、電子インボイスの標準化などを目指す。

 

(2信頼のあるデータ流通の促進では、個人情報保護システムの開発、データ移転の促進、政府データの利用促進などを目指す。

 

3信頼のあるデジタルシステムの構築では、AIルールの策定、オンライン消費者の保護、中小企業のデジタル化支援などを目指す。 

 

なお、DEPAでは2021 2 月にカナダが加盟申請に向けた協議を開始している。その後、202110月には韓国、202111月には中国がDEPAに加盟を申請し注目を集めた。

米国のバイデン政権は、発足当初「DEPAをベースとしてインド太平洋地域にデジタル貿易協定を構築する意図がある」との見方もあったため、中国の加盟申請は余計に注目を集めた。DEPAに申請をした中国の狙いとしては、電子商取引の拡大や技術革新に対応したルールを確立して投資を呼び込みことや、AIなど先端分野の標準的なルール作りに先行して参加し、地域貿易における存在感を高めるといったことがある。なお、習近平国家主席は、国際組織におけるデジタルエコノミーに関する議論に主体的に参画し、バイやマルチでのデジタルエコノミーガバナンスに関する協力などを通じて「中国のやり方を提案し、中国の声を伝える」と発言しており(*7)DEPA加盟申請などの動きは、こういった中国の考えを具体化しているものと捉えられる。 

 

DEPAのほか、シンガポールと英国は20222月にデジタル経済協定(DEA)に署名した。20216月に交渉開始、12月に原則合意をしておりスピード感のある協定だ。

 

DEAでは、新しい不当なデータローカライゼーション要件の導入の禁止、電子コンテンツ販売への関税の不賦課や、電子署名や電子契約などの貿易管理文書の電子化などデジタル化の促進、個人情報の保護、ソースコードや暗号化アルゴリズムなどの知的財産の強制譲渡からの保護、AIなどの新興技術の協力などを促進する。金融サービス分野ではフィンテックやレグテック*(*規制(Regulation)と技術(Technology)を組み合わせた用語)など革新的な金融サービスでの協力も促進する。 また、最近では、202211月に韓国・シンガポール・デジタルパートナーシップ協定(KSDPA)及び韓国EUデジタルパートナーシップが署名に至るなど、独立したデジタル貿易協定の締結が加速している。 

 

 

4.  IPEFのデジタル貿易ルール形成の行方が注目される

 

グローバルなデジタル貿易ルール形成では、米国が提唱したインド太平洋経済枠組み(IPEF)も注目される。IPEFは、202110月末に東アジア首脳会議(EAS)において米国のバイデン大統領がインド太平洋地域の多国間の経済枠組みの構想に言及したことが出発点だ。 その後、20223月に米国通商代表部(USTR)が発表した「2022年の通商政策課題」において、IPEF4本柱を公表し、20229 月に米国で 開催されたIPEF 閣僚会合で正式な交渉開始を宣言した。この時点では、米国、日本、豪州、ニュージーランド、韓国、 ASEANのうち7か国(インドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイ)、インド及びフィジーの 14 か国が交渉に参加している。 

 

IPEFは関税撤廃・削減を含まない通商枠組みで、「貿易」「サプライチェーン」「クリーン経済」「公正な経済」の4本柱で構成される。デジタル貿易ルールは、このうち「貿易」のなかで議論されている。IPEFの正式な交渉開始前から、米国には、IPEFを活用してインド太平洋地域に米国主導のデジタル貿易ルールを導入する意図があるとされてきた。米国情報技術工業協議会によると、今日のインターネットユーザーの大多数はインド太平洋地域に所在し、2023年までに31億人に増加すると予測される大市場だ。バイデン政権のみならず、全米製造者協会、米国国際ビジネス会議、米国商工会議所などの業界団体もIPEFにおいてデジタル貿易ルールが制定されることを要望している。 

 

20229月に採択された閣僚声明では、「貿易」の柱の「デジタル経済」部分の取組みとして、包摂的なデジタル貿易の推進、デジタル経済における信頼及び信用のある環境の構築、オンライン情報へのアクセス及びインターネット利用の促進、デジタル貿易の促進、差別的慣行への対処並びに強靭で安全なデジタル・インフラ及びプラットフォームの推進などを提唱している。特に、

 

1)国境を越えるデータの信頼のある安全な流通、(2)デジタル経済の包摂的で持続可能な成長、(3)新興技術の責任ある開発及び利用促進を支援するとする。 

 

また、IPEFでは、新興国と中所得国の女性と女児を対象とした大規模な「デジタルスキルアッププログラム」の提供が予定されている。IPEF 新興国と中所得国の女性と女児を対象とし、2032年までにデジタルツールを使用するためのスキルアップの機会を500,000以上提供することを計画する。米国からは、AmazonAmazon Web Services、American Tower、Apple、Cisco、Dell Technologies、Edelman Global Advisory (EGA) Google、HP、IBM、MasterCard、Microsoft、PayPal、Salesforce及びVisaといった名だたる企業が参加している

 

IPEFにおけるデジタル貿易ルール形成を米国が重視している表れでもある。「デジタルスキルアッププログラム」の主な内容は下記のとおりだ。 

 

  • データサイエンス、サイバーセキュリティ、AI、ロボティクスなどの分野で女性向けのトレーニングを提供する
  • 女性の中小企業経営者向けに、ウェブサイトの計画と開発、検索エンジンの最適化とマーケティング、予算編成、ソーシャル メディアを含む包括的なデジタルツールキットを提供する
  • 地方の女性ためのデジタルリテラシーと起業家精神のトレーニングを提供する
  • デジタルコンテンツ制作のために作家やイラストレーターを養成、そのコンテンツを読書アプリを通じて提供し、女性のリテラシーを向上させる 

 

一般的に、先進国と途上国が参加する通商枠組みにおいては、「アメ」として先進国が関税の撤廃や削減によって自国の市場を開放することが、途上国側が当該枠組みに参加する主要なインセンティブとなる。関税撤廃という「アメ」を含まないIPEFにおいて、デジタル分野における協力の有効性は交渉の行方を左右する鍵のひとつであるといっても過言ではない。 昨今の国際的なデジタル貿易分野におけるルール形成は、FTA/EPAの電子商取引章に加え、WTO電子商取引交渉、独立したデジタル貿易協定及びIPEFにおいて議論されている。

 

今後は、本稿で紹介した論点のほか、日本の経済安全保障推進法でも導入が検討されているセキュリティクリアランス制度の国際連携など新たな課題も論点となるだろう。

 

国際的な通商ルール動向に加え、日本国内の動向、主要国の国内法令の動向なども注視が必要だ。 

 

*1 :  2015 年の大筋合意の時点では環太平洋パートナーシップ(TPP)協定。米国の離脱によって、米国以
外の加盟国が 2017 年 11 月に CPTPP に大筋合意、2018 年 12 月に発効

*2 :  Graham Greenleaf「Global data privacy laws 2015: 109 countries, with European laws now a minority」
http://138.25.65.17/au/journals/UNSWLRS/2015/21.pdf

*3 :  JETRO「貿易協定で先行する関連ルールの確立(世界)」
https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2019/13a43c86eed15d2c.html

*4 :  IMPACT 三浦 秀之「デジタル貿易をめぐるルール形成の重要性」
http://www.worldeconomic-review.jp/impact/article1894.html

*5 :  経済産業省「WTO 電子商取引交渉の共同議長国閣僚声明を発表しました」
https://www.meti.go.jp/press/2021/12/20211214001/20211214001.html

*6 :  外務省「電子商取引キャパシティビルディング枠組み」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100356705.pdf

*7 :  JETRO「デジタルエコノミー発展に向けた 5 カ年規画を発表」
https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/01/850c3e39d22e7716.html

 

株式会社オウルズコンサルティンググループ
チーフ通商アナリスト
福山 章子

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